花が芽を出し始め、太陽の出ている昼間には大学の中央広場の階段には多くの学生が、少しでも日光を浴びようと日向に固まって座っているのを見かける。
季節の変わり目、特に春の訪れというのは、とても特別な感じがする。
そして、自然の力や美しさに魅了される。
しかし、自然は人間にプラスのものだけをもたらすものではない。
3月11日に起きた東北での大地震と津波。
毎日BBCニュースを見ながら、心が痛む。
あまりにも突然で、驚異的な威力で今迄人々が築いてきた生活、文化、予期される災害から身を守る防止網さえも鵜呑みにしてしまった。
今、私は修論で、森林の「持続的」維持・管理と人々の生活の改善について考えようとしている。先進国の人間(私も含める)は地球の温室効果ガス削減を世界の最優先課題として、途上国の森林伐採を食い止めようとしている。
REDD+という世界規模のプロジェクトの実施の準備が進んでいる(インドネシア、タンザニア、ガーナ、コスタリカ、など)。
森林周辺に住み、森林資源に生活を依存する人々に伐採を辞めさせ、現在ある森林の維持あるいは拡大を推奨する。人々は資源を使えなくなる一方、その存在する森林が吸収する二酸化炭素の量に応じてお金を受け取る。
つまり、簡単に言ってしまえば、森林の二酸化炭素吸収力をお金に換算し、現地の人々の失われる生計を償う、というプロジェクト。
すでに多くの問題が想定され、政府、援助機関、現地の人々の、生活、優先課題、政治的権力など成功させるためには多くの交渉と譲歩と協力を必要とする。
森林の価値を、二酸化炭素吸収力のみで価値をつけていいのか。
森林の周りには、それぞれの人々、文化、社会の歴史や生活が根付いている。
自然の力を甘く見ると、きっと自然は言葉ではなく、行動でその異議を人間に示すだろう。それは特定の人のみではなく、手当たり次第に・・・。
人間は自然を操り、自分の都合のいいように工夫しながら発展してきた。しかし、一度立ち止まって、人間と自然の関係を問い直してみる必要がある気がする。
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